yakimono7042009-08-15

 今思えば母達は何を考えながら焼け跡を歩いていたんだろう。
ほとんど記憶に残ってないけれども、母達もまだ30代だったと思います。
 父の存在をすっかり忘れていました。父にも赤紙が(召集令状)来て(大牟田空襲の前です)出征したはずですが覚えていません。父は体が弱くて「うらなりさん」のような身体だったようです。ところが、ある日突然、歩いて帰ってくる父を見つけたのは僕でした。「とおちゃんどげんしたつ?」帰ってくるのがあまり早かったので、みんなびっくりしてたようです。きっと戦地に派遣出来るような身体ではなかったのでしょう。