yakimono7042009-07-30

大変貴重な桃が2日続けて送られてきた。ありがたいことです。感謝。
今日は曇りだけど、いやにむしむしと蒸し暑い。
大牟田が空襲を受けたのは何日だろう。
 僕はからだをこわしていたようだ。防空壕にいた。姉と2人で。空襲警報の声も覚えていない。
本町にいた頃に座布団で作った防空ずきんをかぶって、親指と手のひらで目と耳をふさいで地面に伏せる練習を何度もして親にほめられてとくいになっていた。
 突然、天井からズボっと何かが天井を突きやぶって落ちてきた。と同時に壕の入り口から突風が吹き込んできた。その時僕はたんぜんを着ていた。姉は壕から出て僕を引きずり出してくれた。
「ねえちゃんたんぜんばふんどるけん、あるかれん」枕木で出来た塀の中になんとか潜り込んで
鉄道の引き込み線が並んでいて石炭を入れる貨車のしたに多くの人々が退避して身を隠していた。
2人も貨車の下に入れてもらっていた。空襲が何時始まったのかぜんぜん記憶にない。
周りは火の海になっているし、あついし息苦しくて呼吸困難になってきた。知らないおばさんが、
何処から持ってきたのか「こりば口にあてとかんね」と言って濡れたタオルを口にあててくれた。
これほどうれしかったことはありません。何処からどうして水を持ってきたのかいまだに不思議でなりません。
周りは総て炎につつまれて燃えていました。総てが燃えつきてあとは覚えていません。どうやら草の上に寝ていたらしく気が付くと枕元に(枕などないのにね)紙のオモチャ(ぬりえの様なもの)がおいてありました。誰がおいたのかわかりません。今考えれば父か母かも知れないな。
よくよく考えてみると、その頃は隣組などがしっかりしていて、サンタクロースの役のような人がいて、焼け出された子供達を不憫に思って配ってまわったのかもしれない。分かった。類焼見舞いだったんだ。